AЯCHIVES OF PAIN / MANIC STЯEET PЯEACHEЯS

“お前は一体自分を何者だと思ってるんだい?お前は自分が神か何かだと思ってるんだろう?神は命を授け、それを奪う。お前じゃない。お前は悪魔そのものだ*1

 

もし病院が治療の場であるなら

監獄は苦痛をもたらす場であるはず

刑戮を恥じることはない

人間性の根源は残虐さなんだから

罪の償いなど存在しない

どんなバカでも昨日を後悔することはできる

だから貴族院*2に抗議しろ

お前も殺人者として同じ棺で埋められることになるぞ

殺人者として 殺人者として

 

絞首台に吊るされた青白い死体の方が

ヒンドリーのクローシェ講義より正当であるはず*3

懺悔ではなく苦痛を 受刑者のことなど忘れ 犠牲者のことを覚えていろ

若くして惨殺された弱者達 我々は今こそ彼らに歩み寄らなければならないんだ

 

エリツィン*4を殺せ! なんて誰が言ってる?

ジリノフスキー*5や ル・ペン*6

ヒンドリーとブレイディ*7や アイルランド*8や アリット*9や サトクリフ*10

ダーマー*11や ニルセン*12や ヨシノリ・ウエダ*13

ブランシュ*14や ピックルズ*15や アミン*16や ミロシェヴィッチ*17

奴らに相応の敬意を払ってみろよ

俺は相応の敬意を払ってやるぜ*18

俺は相応の敬意を払ってやるぜ

俺は相応の敬意を払ってやるぜ

 

死刑執行は必要とされる

血塗られた器具は 我々の安息のため

もし人が死を生み出せば 死もまた人を捕らえる*19

馬と鎖で 身体を四つ裂きにしてやればいい

殺人者達は 自己を世界に投影し

自分自身の欠陥を掻きむしる*20

減刑ではなく 更なる苦痛を

レイプ犯を去勢しろ 俺が提唱しているのは奴らの根絶だ

 

エリツィンを殺せ! なんて誰が言ってる?

ジリノフスキーや ル・ペンを

ヒンドリーとブレイディや アイルランドや アリットや サトクリフを

ダーマーや ニルセンや ヨシノリ・ウエダを

ブランシュや ピックルズや アミンや ミロシェヴィッチ*21

奴らに相応の敬意を払ってみろよ

俺は相応の敬意を払ってやるぜ

俺は相応の敬意を払ってやるぜ

俺は相応の敬意を払ってやるぜ

 

(※イギリスでは1969年に死刑制度が廃止されているが、その死刑制度の復活に言及したこの曲は、マニックスの曲の中でも最も多くの誤解・批判・論争を引き起こしてきた。ただし、作詞者のニッキー・ワイアーによると、この曲は決して、死刑制度の支持や報復行為の正当化を目的として書かれたものではなく、当時の社会に拡がっていた連続殺人犯・独裁者を英雄として美化・神格化する風潮へのアンチテーゼとして書かれたものであるという)*22

*1:冒頭のサンプリングは、イギリスの連続殺人犯ピーター・サトクリフ(脚注10参照)によって娘を殺害された母親のインタビューから。

*2:庶民院とともにイギリスの立法府を構成する議院(上院)。2009年に連合王国最高裁判所が新設されるまで、最高裁判所としての機能も有していた。

*3:ヒンドリー→イギリスの連続殺人犯マイラ・ヒンドリー(脚注7参照)。

*4:ロシア連邦の政治家ボリス・エリツィンBoris Yeltsin)。同国の初代大統領を務めた(1991年~1999年)。ロシア連邦民主化を主導したが、「ショック療法」と呼ばれる急速な経済自由化はハイパーインフレを引き起こし、多くの国民を貧困に追いやった。また、チェチェン侵攻の失敗、新興財閥との癒着、汚職摘発を行った首相を解任するといった独裁的な振る舞いから、国民の支持はどん底まで低下、「役立たず」と称されることもあった。

*5:ロシアの軍人・極右政治家、ウラジーミル・ジリノフスキーVladimir Zhirinovsky)。反ユダヤ主義、生放送中の暴 力沙汰、数々の暴言(「日本が北方領土を返せと言うなら、もう一度原爆を落としてやろう」「世の中の女は俺の物だ。犯してやる」)等、話題に事欠かず、危険人物として知られる一方、多くの国民の失笑と好奇の眼差しを集めている。ジリノフスキーは、ロシア自由民主党の設立者で党首でもある。この政党はその名前とは異なり、実態は過激な民族主義政党である。

*6:フランスの極右政治家、ジャン=マリー・ル・ペン(Jean-Marie Le Pen)。EUからの脱退・移民排斥・国籍取得制限の強化などを唱える極右政党国民戦線の創始者・初代党首。

*7:イギリスの連続殺人犯マイラ・ヒンドリー(Myra Hindley)とイアン・ブレイディ(Ian Brady)。1963~64年にかけて、10~17歳の少年少女5人を性的暴行した後に殺害。後に発見されたカセット・テープには、彼らが嬉々として被害者の少女を拷問にかけている様子が録音されており、彼らはイギリス至上最も残虐非道なカップルとして国民を騒然とさせた。特にヒンドリーは罪の意識が薄 く、度々釈放を求めたり、獄中のクローシェ(編み物)クラブに参加したりしていたという(2002年、獄中にて病死。ブレイディは現在も獄中にて存命)。ちなみに、The Smithsの「Suffer Little Children」という曲も、当事件を題材にしている。また、Sonic YouthのGooのジャケットは、ヒンドリーとブレイディによる犯行の目撃者・通報者となったデヴィッド・スミス(David Smith)と彼の妻でヒンドリーの妹モーリーン(Maureen Hindley)の写真を絵画に描き直したものである。

*8:イギリスの連続殺人犯コリン・アイルランド(Colin Ireland)。1993年、同性愛者が集うパブで出会ったゲイの男性5名を殺害。犯行の動機は、「連続殺人者として自分の名前を後世に残すため」(5 人殺すとFBIに連続殺人犯として認定されるという理由から、5人を殺害。アイルランド自身はゲイでもなんでもなく、単に殺しやすいという理由でマゾのゲイ男性を標的にした)。2012年、獄中死。

*9:イギリスの連続殺人犯ビバリー・アリット(Beverley Allitt)。1991年、看護婦であった彼女は、入院中の幼児13名に大量の薬物を投与。そのうち4名が死亡、一命を取り留めた幼児も重度の脳障害等を負うことになった。彼女の犯行の動機は、「世間から注目されたい」というものであり、終身刑を宣告された後も、謝罪の言葉を一切述べていない。現在は精神病院に収容されている。

*10:イギリスの連続殺人犯ピーター・サトクリフ(Peter Sutcliffe)。1975~80年にかけて、13名の女性を殺害。犯行の動機は、女性への憎悪。彼は、自身のインポテンツを売春婦に笑いものにされ たことをきっかけに、殺人に手を染めるようになった。被害者の多くは売春婦であったが、主婦・学生・公務員もいた。殺人の手口が切り裂きジャックと似ていたことから、「ヨークシャー・リッパー」と称されている。

*11:アメリカの連続殺人犯ジェフリー・ダーマー(Jeffrey Dahmer)。1987~1991年にかけて、17名の青少年を殺害・屍姦・人肉食を行った。同性愛者で、極度の内気であった彼は、「自分を決して裏切 らない従順な恋人が欲しい」という動機から犯行に及ぶ。彼の犯行は全米の注目を集め、「ミルウォーキーの食人鬼」の異名が与えられるとともに、映画化され、フィギュア人形まで製作・販売されるようになった。1994年、獄中にて他の囚人に撲殺される。

*12:イギリスの連続殺人犯デニス・ニルセン(Dennis Nilsen)。1978~83年にかけて、およそ15名(正確な数は不明)の青少年を殺害。犯行の動機は、「ずっと孤独だったため、誰かと一緒にいた かった」というもの。同性愛者だった彼は、酔った勢いで家に招いた男性を帰らせたくない一心で殺害、その死体の衣服を着せ替えたり、一緒にテレビを見たり、添い寝したり、ということを何度も繰り返した。彼は死体をとても大切に扱い、腐臭のために余儀なくされる解体・焼却の辛さを紛らわせるためには、大量のアルコールを必要としたと言う。公務員でもあった彼は、真面目で仕事熱心で、穏やかな人物であったとも言われている。現在も獄中にて存命。

*13:日本の連続殺人犯・自称犬訓練士、上田宣範。1992~93年にかけて、大阪府の男女5名を薬物にて殺害。上田が愛犬家であったことから、愛犬家連続殺人事件と呼ばれている。死刑確定。

*14:南アフリカの極右政治家ユージン・テレブランシュ(Eugène Terre'Blanche)。白人至上主義を唱え、同国におけるアパルトヘイトの維持を強硬に訴えるアフリカーナー抵抗運動の指導者。

*15:イギリスの法廷弁護士ジェイムズ・ピックルズ(James Pickles)。「レイプは挑発的な女性の方に責任がある」と主張し、レイプ犯の減刑を行うなど、いくつかの疑惑の判決を下したことで知られる。

*16:ウガンダの軍人・政治家イディ・アミン。同国の第3代大統領を務めるも、独裁政治を行う。ウガンダ国内のインド系の排斥、国民30万人の虐殺などから、「黒いヒトラー」「アフリカで最も血にまみれた独裁者」と称される。1979年、サウジアラビアへ亡命、2003年、病死。

*17:セルビアの政治家ズロボダン・ミロシェヴィッチ(Slobodan Milošević)。セルビア社会主義共和国、およびセルビア共和国の大統領を務めた。ミロシェヴィッチ政権によって、セルビアの国際的な孤立、国民の生活の困窮、周辺国への軍事介入(とその敗北)がもたらされたため、多くの国民から独裁者と見なされている。2000年、コソボ紛争でのアルバニア人に対するジェノサイドの責任者として起訴され、逮捕・収監された。2006年、獄中にて病死。

*18:ファシズムの指導者や連続殺人犯といった連中は、一切敬意を払うに値しない。これが連中に相応だということ。これらの人物を神格化する風潮に対する反対の意が表明されている。

*19:人を殺した者は、その行為のために殺されなければならないということ。

*20:殺人者は、自己嫌悪を自分だけでうまく処理することができず、自己を他者に投影し、その他者を残虐な方法で傷付けたり殺害したりする。

*21:この箇所は、歌詞では“Milosevic”となっているが、実際には“Manic Street Preachers”と歌っている。これら独裁者や殺人犯と自分達のバンド名を同列に並べるというのは、単なるジョークに過ぎないのかもしれないが、もしかすると、苦痛を求めるという自分達の主張が、果たして正当なものか、あるいは、これら独裁者や殺人者のリストに自分達の名を連ねてしかるべき愚かなもの なのか、その是非を問うているのかも知れない。

*22:この曲については、作詞者のリッチー・エドワーズ自身の政治的立場を表明した曲であるとか、死刑制度を賞賛する極右的人間が醸し出す狂気を第三者的目線で眺めた曲であるとかいったように、これまで様々な解釈がなされてきた。また、死刑制度を支持するかと思えばそのような右翼的立場への反対を表明するといったリッチーの矛盾した態度も、解釈をより混乱させている。リッチーが失踪した現在、この曲の真意は藪の中であるが、共同作詞者のニッキーはこの曲について、「連続殺人犯や独裁者を英雄視する風潮を批判したもの」と述べている。ここでは、リッチーとニッキーがこの曲のインスピレーション源として挙げている、フランスの哲学者ミシェル・フーコー(Michel Foucault)の著者『監獄の誕生-監視と処罰』(1975年)に基づく形で、ニッキーのこのコメントをより詳細に検討してみたい。

 フーコーのこの著作は、西洋社会における処罰方法の変遷、それに伴う人間の規格化と監視社会の誕生を論じたものである。18世紀の西洋社会において、犯罪者に対する処罰は恐ろしく残虐なものであった。公衆の面前に設置された処刑台の上で、熱した鉄や油で身体を徹底的に傷付け、四頭の馬に引かせて体を四つ裂きにし、引き裂かれた手足胴体を焼き尽くし、その灰をまき散らすといったことが行われていた。しかし、このような過度に暴力的な処罰は、決して当時の刑罰制度の「野蛮さ」を示すものではない。それはむしろ明確な政治的技術であった。つまり、18世紀の処罰は、「国王への反乱を企てるような存在(=犯罪者)」を徹底的に無力化し、国王が神聖不可侵であることを国民に見せつけるために、過激な「華々しさ」を必要としたのであった。

 だが近代に入り、《人間性》の観念が登場すると、このような過激な処罰は急速に消滅し、より穏やかな方法、受刑者を独房に閉じ込めその自由を奪うという監獄制度が生み出されることとなった。そこでは、社会に害悪をもたらさない良き市民を作るという名目のもと、精神と身体の矯正が行われるようになった。

 現代に生きる私達からすれば、悪人を善人に矯正し社会復帰させる監獄制度は、同じ社会の安定を目的とした処罰方法でも、18世紀のものと比べて極めて人道的な処罰方法であると思われるだろう。しかしフーコーによれば、監獄制度は人道的な方法でもなんでもなく、「身体よりも生命に打撃を与える」ものであった。と言うのも、監獄制度は、単に悪人を善人に矯正するといった意味合いのものではなく、人間の多様な生のあり方を強制的に「正常/異常」の二つに分類し、「異常」の側に分類された人間を「正常」へと矯正するといった(暴力的な)統制技術を行使する制度なのである。よりわかりやすく言い換えれば、それは、人間を、特定の社会のルールに沿わないという理由によって「異常」と見なし、訓練を施して社会適合的な「正常」な人間に矯正するという「人間の規格化」を行うものなのである。

 実際のところ、監獄制度がもたらしたこの人間の規格化という統制技術は、本来の目的であった犯罪の抑制よりも、より広範な社会の管理に役立てられることとなった。この技術は、今や監獄のみならず、学校・軍隊・精神病院・企業などで活用されている。この意味で監獄制度とは、現代社会の「原型」なのである。そして、このような統制技術が一般市民の日常意識の中に自明のものとして浸透した現代社会においては、人々は自ら進んでお互いを監視し始めるようになる。人々は自身の生活圏内に「正常」から逸脱した振る舞いをする者がいないかどうか常に目を光らせる。また、自分自身が「異常」と見なされることを極度に恐れ、努めて「正常」であろうとする。このようにして人間の規格化は、人々に気づかれないほど微細だが日常の細部にまで深く浸透する見えない権力作用となる。かつて18世紀の権力は、過激な身体刑に象徴されるように、人々を外部から強制的に統制・拘束するものであったが、近代以降の権力は形を変え、前近代的な拘束から開放された人々の自由意志の中にこそ宿るものとなった。言い換えれば、私達は自らの主体的な意思によって、実体なき監獄に監禁され続けているのである。

 以上がフーコーの議論の概略であるが、これに照らし合わせると、本曲「Archives of Pain(苦痛のアーカイブ)」が何を問題としているのかも明確になるだろう。この曲は、(一見そう見えるものの)連続殺人犯や独裁者といった絶対悪を地上から追放せよといった極右的主張を行うものでもなければ、死刑制度の是非を問うことを主題とするものでもない。この曲が問題とするのは、あくまで、何の変哲もない生活を送る私達一人ひとりの日常的な意識であり、中でも、私達が素朴に信じ込み強化し続ける「正常/異常」の二分法、そして、「異常者」に対する思慮なき矯正・排除・隠蔽なのである(この点で、この曲は、Holy Bibleの3曲目「Of Walking Abortion(歩く中絶児)」と関心を共有している)。

 近代社会において私達は「異常者」を常に監視し、矯正・排除・隠蔽してきた。だが、まさにそのことから、社会から忌避される「異常者」はしばしば、社会に反旗を翻す一種の逆立ちした英雄として神格化されてきた。連続殺人犯や独裁者は、英雄として崇拝の対象となり、崇拝者の中には、自ら残虐行為に手を染めることで、そのような英雄と同一化しようとする者まで現れ出した(今や連続殺人犯の犯行動機として最もよく聞かれるのは、怨恨や報復などといったものではなく、「殺人犯として世間の注目を集め、歴史に自分の名を残したい」というものである)。重要なのは、こうした殺人犯や独裁者への倒錯した関心は、近代社会による「異常者」の矯正・排除・隠蔽の副産物であるということだ。つまり、これら殺人犯や独裁者の英雄視は、彼らを絶対悪と見なすような思考と軌を一にしており(同じコインの裏表であり)、結局のところ、彼らへの無関心≒一面的理解から生まれるものに過ぎないのだ。

 ここまで議論を進めれば、ニッキーによる「連続殺人犯や独裁者を英雄視する風潮への批判」というコメントもよく理解できるだろう。本曲「苦痛のアーカイブ」による批判の焦点となっているのは、悪というものに対する私達の無関心≒一面的理解である。したがって、この曲が求めるのは、私達が悪について今よりももっと詳しく知ることであり、その上で、私達の平和や安寧な生活について考えることなのである。

 では、悪を知るために私達にできることは何だろうか?ひとつの方法は、歌詞の一節に「受刑者のことなど忘れ 犠牲者のことを覚えていろ」とあるように、悪の犠牲になった者(=被害者)に、より多くの関心を向けることだろう。メディアをはじめとして私達は、悪を為したもの(加害者)の方にばかり注目しがちである(それも好奇の眼差しを持って)。だが、被害者に徹底的に目を向けることによって、私達は、人間の悪行を無条件に恥ずべきことであると見なすような(それゆえ議論の余地がないと見なすような)短絡的思考から離れ、悪というものが孕む本当の残虐さ凶暴さを知ることができ、また、そのような残虐さ凶暴さが実は自分の心の中にも宿るものであることを理解することができるだろう。

 そしてこの曲が提唱するもう一つのやや過激な方法が、死刑の実行という形で、私達自身が悪を背負うこと、また、そのことに自覚的になることである。自らを善良であると見なす者ほど、悪について考えない。自分自身も悪を担っているということを意識することによって、私達は悪について真剣に考えるようになる。確かに、フーコーの著作に見られる18世紀の残虐な処罰方法は決して望ましいものではないだろう。だが、人道主義の名の下に無関心を蔓延させ、自分達の平和や安息が殺戮・搾取の上に成り立っているということを忘れているような私達にとっては、もしかすると、それも必要であるのかもしれない(リッチーは、死刑執行の様子をテレビ中継し、その様子を、子供を含め全ての人が見ることが、教育上望ましいと考えていた)。

 以上、多くの誤解・批判・論争を引き起こした「苦痛のアーカイブ」についての、ひとつの解釈を示してきた。もちろん、このように解釈しても、本曲にはまだ矛盾・疑問点が残る。特に、苦痛を過激に強調した死刑を支持するというのが本当に有効なやり方だったのかという点は、まだまだ議論の余地があるだろう(マニックスの数ある論争的な曲の中でも、この曲は特に、リッチーとニッキーが恐る恐る発表したものだったと言われているが)。だが、いずれにせよ、このような曲を通じて少しでも多くの議論が生まれ、少しでも多くの人の感受性が高まることは望ましいと思われる。